2010/07/12

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2002

もうそろそろ梅雨明けてほしいんだけど。どうかな。まだかな?もういやだよ。むしむしするのじめじめするのやだよー。

つーわけで。ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTHを振り返る企画、第二弾。ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2002を振り返ってみたいと思います。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2002】

この年から、DJ BOOTHに、レジデント制が導入されたわけですね。片平君と二人です。この年から三日間になったわけですね。フェス自体もね。でもまだステージは2つ。グラスとレイク。でも三年目ということで徐々に規模感がアップしていった時期。とにかく、レジデントという大役を仰せつかったということ。でもって、この年が色んな意味で、自分のDJ人生においてかなりのターニングポイントになったのは必至であります。2001年にて、初めて大人数の前で、野外で、フェスで、という状況でDJをやることになって、やった。でも、まさか、もう一度というか、続けてそのような状況でDJをやるようになるとは思ってもいなかったわけで。でもって三日間ぶっ通しで出演という。これはかなり参りましたね。やる前からどうしていいのかわからない状況が続いていました。こちらにてまたもや初々しい保坂の日記が掲載されております。かなり詳細に。改めて自分でこの日記を振り返ってみると、忘れていた想いというものも沸き起こってきましたよ。
ある意味、今ある、DJ BOOTHの基礎となる感覚。選曲に至るまで、この最初のレジデントで確立していたのかもしれません。いや、確立というよりも、片平君含めて、あの場所で如何にオーディエンスとともに祝祭空間を共有するか?ということに対しての試金石というものを掴んでいたのだなぁと思うわけです。先の日記にも事細かく記しておりますが、フェスのDJということが無ければ、あのようなスタイルは決して自分のDJでは確立しなかったという。日記の中では、「割り切り」というようなたとえで記しているけど、それは全然悪い意味ではなくて。DJとしてのエゴというものと、オーディエンスが欲しているモノに対する共有という柵を如何にとっぱらうか?という度胸と挑戦がこの最初のレジデントの経験で試されて、それが年々形になっていったのだと、改めて感じるわけです。
そうそう。DJ BOOTHというとゲストDJの豪華さもありますな。この年はどんな面子だったかというと、こちらをごらんあれです。なんか、不思議な感じでしょ?今思えば。ポリのメンバーがこの年から参加しているという事実以外、今、常連になっているアーティストのみなさんがまだ顔を出していなくて。どちらかというと、ロックなDJという感じでもなく、アーティスティックな感じが強い。こういう歴史を踏まえて、今に至るというのをDJ BOOTHは歩んできたんですよね。とっても懐かしい。このときに参加してくれたゲストのアーティストのみなさんのプレイが走馬燈のように駆け巡りますよ。
というわけで、2002年というのは、レジデントDJが始まったということ。それがとにかく衝撃であり。今に至る道程において、この、レジデントというものがどれだけの重さになるかということをまだその時点では気付かずに、ただひたすらに、ひたちなかという場所を、ジャパンフェスを、DJ BOOTHに来てくれたオーディエンスを如何に喜ばせて、自分も幸を得るということを試行錯誤した。という記念すべき年であったと思います。

では、この年から数年間。今に至るまで。保坂のハイパーアンセムとしてDJ BOOTHを鳴らし続けた楽曲を紹介して、次回に続きます。

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