2010/08/29

なんとなく、あらためて、自己紹介。

どうも、保坂壮彦(ほさかたけひこ)と申します。

「ROCK IN JAPAN FES.2010」のDJ BOOTHで三日間DJをやらせていただいたのが直近の活動です。音楽雑誌「MUSICA」にて毎月ディスクレビューを書いてます。DJやらライターやらをやっている音楽馬鹿です。馬鹿が度を過ぎて、愛しすぎて、一回りして、馬鹿になった、音楽馬鹿野郎です。
「ALL IS LOVE IS ALL」
http://www.allisloveisall.com
というサイトで、この日記やらを書いてたり、写真を公開してたりしてます。
そう、最近、みなさんの目に触れることが無くなってしまいましたが、カメラマンも自称でやってます。

久し振りに自己紹介をしてみたら、こんな中途半端な感じになっちゃいました。
俺って何者だ。。。。

そうそう。最近、「俺って何者だ。。。。」っていうことを考えるのです。みなさんどうすか?あなたは何者ですか?

別に社会的に名乗れる肩書きがどうだこうだとかそんな薄っぺらいものではなくて、もっと、ずばっと自分を語れる何かがあるはずなのに、見失っているようでしょうがない。だからといって、自己探求とかそういう類のものではないんですよね。なんか、こう、しっくりくる自分ってものがあるはずなのになぁって。思うわけです。

最近、音楽を聴いていても、同じようなこと思います。

例えば、ロックってものは、時として、社会に対するアンチテーゼとして存在する力を持ったり、政治的メッセージを投げかけるものでもある。さらに、享楽的なパーティーピーポーを盛り上げるモノでもあり、部屋にこもってどうにもならない自分を慰めるベッドルームミュージックでもある。それぞれ、時代によって、大衆的にポップミュージックとして機能するロックは、変化するわけで、今挙げたようなロック以外のモノも、今までの時代を先んずるものとして機能してきた。そこで思うに、今、ロックに必要とされているものは、「俺って何者だ。。。。」というものを確認するものであるような気がするのです。
とはいっても、「俺ってこういうものだぜ!」っていう高圧的な、一方的なテーゼを突き付ける、胸焼けするようなロックではないのです。自分自身がなんなのかってことを考えるきっかけになるようなロックが今、必要とされているのかなって思うのです。再度書くけど、自己探求ではないのです。「きっかけ」としてのロックだと思うのです。今。
音楽は多種多様なものを表現する中で、決起集会のようなものもあるけど、全ての人間に通ずるものとしての、「きっかけ」を流布することもあるのです。それが一番いまキテるような気がするのです。

予感は、サカナクション「アイデンティティ」のリリースから始まります。アジカンの「マジックディスク」もそうです。そして、くるりの、絶対的に名盤になるであろう、「言葉にならない、笑顔をみせてくれよ」にもその予感は漂ってます。




特に、最近、刺々しく突き刺さるロックも現れていて。ダンス!ダンス!なロックも現れているけど。それらも、大袈裟な言い方をすると、「きっかけ」として機能しているのではないかとも思うのです。

今まで、僕達は、なんとなく、ロックに喚起させられていた時代が続いていたような気がします。自分はおいておいて、ロックが騒いでくれるから、それに乗っかれば、なんとかなるさ、って感じです。でも、もうそろそろ違うような気がするのです。主体的にロックに携わるということでもなく、ただ、ただ、ひたすら、「きっかけ」をロックが与えてくれる。それを全体的に浴びることが重要なのではないかなって。「モテキ」の人気もそうなのかなって。でも、実写版「BECK」はちょっと違うかな…って(※念のために言うと、原作自体がちょい過去のものになるから、時代性としてタイムラグがある気がするのです)。

きっかけ。

それをちょっと感じてもらえれば幸いです。

この日記の冒頭の僕の自己紹介も、何かのきっかけになればいいかなって。

というわけで、僕は、なんでもやる課の課長です。なんでもやります。なんでも受けます。
メール募集中でーす(笑)。

allisloveisall@gmail.com

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