2012/01/17

『音楽』〜 “上を向いて歩こう”


 前回の日記で書いた、その名も『音楽』というタイトルの文章で、言葉にならない様々なことを、乱雑になってしまった思いを、書いた。その内容を改めて自分で租借し、上手く言葉で吐き出せるように、結局自分は何を言葉に表したかったのか?というものを改めて整理して、自分に降りかかった様々な要素を抜き出して、整合性を取れるように、書けるだけ書き記し続けます。今日はこれです。


 遅ればせながらようやく今年になって読破することが出来たこの本。この内容が僕に対して様々な角度から突き刺さって来たことが、『音楽』というものを改めて考えさせられる要因であったひとつです。著者の佐藤剛氏は、昨年、コアな音楽リスナーだけではなく、様々な人達にとって、記憶に残る出来事として刻まれた、あの作品。由紀さおり & ピンク・マルティーニの『1969』のプロデューサーでもあります(関連インタビューはこちら)。そんな氏が、長年の月日と想いを込めて上梓した本であります。

 ちなみに私、保坂壮彦は、この佐藤剛氏という人物がいなかったら、どうなっていたのでしょうか。いなかったら、多分、普通のおじさんとして、普通のサラリーマンとして、既に結婚して子供もいて…なんていう生活を過ごしていたのでしょうか…。まあ、そんな、今更考えたってしょうがない、所謂、たらればの話をしても何の生産性もないので止めましょうか…。

 改めて。

 僕の恩師であり、師匠は、佐藤剛氏です。氏がいなければ、僕はここにいません。氏が僕に、約10年前、一言声をかけてくれなければ、僕は音楽稼業を始めていませんでした。全てのスタートが氏のおかげであり、『音楽』たるものの全てを氏から学びました。若輩者ながら、偏った音楽観を持っていた僕に、様々な指南と至難を与えてくれました。氏から授かった大切なものは未だに僕の基軸として刻まれています。氏の身近にいた時は、それはもう吸収することが沢山あったし、離れてからも、時折、氏から授かるものはとてつもない財産として、僕の中に培われています。氏が僕のことをどう思っているか?はどうでもよくて、勝手ながらに、本当に僕の恩師であり、師匠は佐藤剛氏なのです。

 そのような師匠が上梓した本であるあるからして、直接的、間接的に氏から教授された、あれやこれやを想い出しながら、主観的な思いでこの一冊の本を読んでしまいそうで、多少、怖い部分もあったのですが、いやはや、そんなことは度外視です。目から鱗が落ちるとはこういうことを言うのでしょう。

 この本の大枠を言うと、彼が(ここから氏ではなく、彼と呼ばせて頂きます)、「上を向いて歩こう」を取り上げて、日本の歌謡曲、日本におけるスタンダードナンバーが何故生まれたのか?ということを紐解いていくことが概要になるのですが、それだけではありません。本当に、概要に過ぎないのです。

 僕は、幼少期、それこそアイドル全盛期、「ザ・ベストテン」をかぶりついて毎週観ていた世代です。その反動もあったからか、中学生くらいから、所謂「MTV世代」のまっただ中。洋楽をむさぼりながら聴いて行くことになります。その傍ら、THE BLUE HEARTSや、それこそジュンスカやBOOWYなどの邦楽バンド系も聴いてはいましたが、“日本人はどうやっても洋楽には敵わない”という認識をずっと持ち続けていました。それこそ、90年代後半にリアルタイムの洋楽を見事に昇華することを可能にしたアーティスト達。くるり、スーパーカー、ナンバーガール、そして、中村一義などが出てくるまで、邦楽に可能性を見いだせずにいたのです。それから、邦楽の歴史を綿密に真剣に振り返ると、幼少期に普通に聴いていた、YMOやゴダイゴ。さらにはアイドル全盛期の楽曲の作詞作曲をしていた蒼々たるメンツを知ることになり、邦楽もそれなりの歴史を歩んできたんだって、尊敬の念を抱けるようになりました。

 しかし、それは、島国日本の中だけでの化学反応であって、欧米の模倣から編み出した発明であって、オリジナルではないと、穿った思いを消し去ることは出来ませんでした。それは、それこそ、今の今までトラウマのように、僕の脳裏に貼り付いたままでした。しかし、この、「上を向いて歩こう」に詰め込まれた内容を読み終えて、“地球は丸かった”かのような価値観の変革が自分の中で起こってしまったのです。内容は、敢えて開陳しません。ただ言えることは、単なる日本の音楽史を紐解く本では無いこと。全米ナンバー1を記録した、坂本九の「上を向いて歩こう」を軸として巻き起こった、世界的な音楽業界の変革が的確に、細やかに詰め込まれているのです。

 日本でも、欧米と一緒に歩みを揃えるように、ポップスが生まれていた。ロックンロールが生まれていたんです。僕がずっと固持するかのように持ち続けていた、島国日本のイメージが一瞬のうちに氷解してしまった。参りました。本当に参りました。

 『音楽』

 突き詰めれば突き詰めるほど深い存在であるからこそ、知るに値するとても大きな存在。だからこそ、実体験として、聴くことが重要でありながらも、様々な文献に頼ることがどうしても必要になるときがあるが、溢れかえった情報化社会になった今、本当と嘘がないまぜになって世に蔓延っているからこそ、間違えると捻くれた音楽観に陥ってしまうこともある。でも、どんなものにも真実は存在している。その真実を突き止めるのは自分の価値観であり、本物を知ることである。それを改めて、身が震えるほど体感したのが、彼が書いた、「上を向いて歩こう」である。

 読み終える前と、読み終えた後での僕が『音楽』に対する感覚は変わった。確実に変わりました。いや、信じていたことが更に強烈に誠であったということを強く抱くことにもなったし、疑っていたことがやっぱり虚実であったということを確認することもあったけど、やはり、革命的に、自己内感覚が変化したことは間違いないのです。

 この「上を向いて歩こう」を読んだことが、僕の中にある、あった、今後もあるであろう、『音楽』の存在を変えた、一因であるのです。

 日記の最後に、この映像を紹介します。

 坂本九の若かりし頃の映像です。

 これ、ロックンロールです。

 ロックンローラーです。

 いたんです。

 エルヴィス・プレスリーの後に、世に出た、ビートルズやローリング・ストーンズと同じように、日本というこの地に、ロックンローラーが生まれ出ていたのです。それが手に取るようにわかる映像です。

 坂本九。

 余談ですが、この男のロックンロールを知っていたからこそ、忌野清志郎が、RCサクセションのライブで「上を向いて歩こう」のカバーを歌い続けたのです。さらに、本を読まずとも有名な話であるかと思いますが、全米ナンバー1になった「上を向いて歩こう」は、「SUKIYAKI」というタイトルに変えられてしまったけれども、歌詞は日本語のままでした。それで全米ナンバー1になったのです。これは、THE BLUE HEARTSが、アメリカデビューをする際、英語にすれば確実にブレイクすると言われたにも関わらず、頑なに日本語歌詞にこだわり、さらに、ツアーでも日本語歌詞のまま歌い続けたことにも繋がると勝手に決めつけています。ちょっと妄想や事実無根の情報を余談で書いてしまいました…。でも、そう思ってしまってもいいんじゃないかなって。ね。





 

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