2013/01/27

あいたい。



歳を重ねるごとに、学生時代の友人とあうことは減っていき。
社会人になると、仕事上の付き合いは増えるけど。
心から打ち解ける人にであえる機会はあんましない。
そんなことを考えると。
僕は今からどれだけの人とあい。
その人たちと、どれだけの感情を共有、共感できるのだろうかって。

ふと思ったわけです。

別に今の自分の周りにいる人たちだけじゃ物足りないというわけではなくて。
ただ、単純に、もっと、人とあえる機会を増やして。
もっともっと、沢山を吸収したいし、沢山を届けたいなって。

ふと思ったわけです。

それも、薄っぺらい感情ではなくて。
喜怒哀楽。愛も憎悪もひっくるめて。
自分の心を開けっ放しにして。
相手の心にずけずけと入り込んでいくような。
もしかしたら、うざったいと思われるかも知れないけれど。
おせっかいだと、ドン引かれるかも知れないけれど。
それでもいいから、沢山の人とあいたいなと。

それは、人だけではなくて。
音楽にも言えるわけで。

まだまだ沢山がいっぱいあるんだから。
もったいないし、もっと踏み込みたいなと。
ネット上でも沢山あえることもあるからこそ。
その出あいも含めて。

まだまだ。

いっぱい。

自分の心がもっと揺り動かされるような。
そんな気持ちをもっともっと感じたい。
別に死ぬ日が決まっているわけじゃないから。
あとどれくらいの年月が自分に残されているのは解らないけれど。
だから尚更、人とあいたい。

人に届けたい。

人から貰いたい。

僕は、自己プロフィールにて、「架け橋的存在」でいたいと、書いている。
ならば尚更、音楽にあいたい。

人。音楽。

それ以外にも沢山あって。
いろんなものと、あって、あって、あって。
そして、未だ見ぬ人に、あえぬ人に、届けたい。
新しく貰えたものが素晴らしいものであればあるほど。
その素晴らしさを知らぬ人に届けたい。

それを受け取ってくれた人が、何かしらの共感や共有を得れれば。
本望だし。スルーされてもそれも本望だ。

兎にも角にも。
あいたい。
いっぱいあいたい。

これは、俺の孤独から発せられた、一方的な想いなのかもしれない。
それでもいい。

うん。
それでもいいと思えるようになった。
んだな。







2013/01/16

スコットとリバースと洋楽と邦楽。




 「最近の若者は洋楽を聴かなくなった」という話題が飛び交ってる昨今。では、彼等が産み出す楽曲は洋楽なのだろうか。邦楽なのだろうか。

 例えば彼等が全編日本語の歌詞で楽曲を制作したのならば、それは邦楽になるのだろうか。彼等の活動が日本限定であるならば、それは邦楽になるのだろうか。ようは彼等の音楽を聴いたならば、それは、洋楽を聴いたことになるのだろうか。

 僕はほんと天の邪鬼なので、「最近の若者は洋楽を聴かなくなった」という話題が、一元論や二元論などでぶった切って、片付けられるのが怖いんですよね。そんな簡単なことじゃないし。でも、実はとっても簡単なことでもあるとも思っていて。結局、人が音楽を聴く聴かないということが、まず第一にあるわけで。その後の行動の中で、何を聴くのか、という選択肢が無数の枝葉に別れていると。その無数のなかの大枠での選択肢に、洋楽、邦楽ということがあるだけで。その大枠というのは形がはっきりとしているようでしていないと思うのです。たったひとつの側面であると思うのです。だからこそ、重要なのかも知れませんが。

 だから、Scott & Riversの存在っていうのが、ある意味、面白い存在として、今、 ここにいるんですよね。だって、僕は、洋楽だとか邦楽だとか考えずに、彼の音楽を聴いているわけですから。

 とはいいつつも、「最近の若者は洋楽を聴かなくなった」は事実。そして問題になっているのは深刻であると感じています。ということも、考えて言葉に記してしまうのが、僕の天の邪鬼の性分を如実に表しているということですよね。お許しを。。。。。







Scott & Rivers  - HOMELY GIRL - 







2013/01/09

Pandoraと自分をすり替えるという暴挙。をしてみた。



「Pandoraとは、ユーザー自身の好みの音楽を分析しピックアップしてくれる機能が備わった音楽の配信サービスのことである。 (IT用語辞典バイナリから引用)」

昨日の日記で、触れた、ストリーミングサービスのこと。特に、Pandoraのこと。ちょっと、思うことが湧き出てきたので、少し持論を展開しちゃおうと思います。てかさ、“いろんな識者がさまざまな場所で語っておりまして。僕が語るには知識が浅はかでおこがましいので語りませんが。”とか昨日、言っておきながらさ、一日経ったら手のひら返したかのように気持ちが変わるという。天の邪鬼。それが、俺。そんな開き直りも、俺の得意技。まあ、いいじゃないっすか。そんなに深く語れませんから。ただ、DJとしての意見として、ちょっと思う節が沢山出てきたからなので、書きます。

日々移り変わるこのご時世。Pandoraに関しての最新動向といいますか。アメリカで革命を起こしたこのサービスの何がどうなっているの?とか、じゃあ日本ではどうなるの?とかやらは、こちらの、「連載第34回 なぜYouTubeは音楽を救えなかったのか | Musicman-NET」による、榎本幹朗氏の連載をご覧下さい。他にもいろんなサイトで取り上げられていますので。みなさま個々それぞれ、情報と状況をすくい上げて下さい。はい。そして、じゃあ、ここで、僕が伝えるぞ、書くぞ、と、思ったことは、至ってシンプルで。この日記の冒頭に書き記した文章。それを、自分に置き換えてみたところ、ほうほうなるほど!ってなったのでありまして。

やってみます。

「保坂壮彦とは、ユーザー自身の好みの音楽を分析しピックアップしてくれる機能が備わった音楽のDJのことである。」

以上。

「Pandora」の部分を「僕」にすり替えて、「配信」のところを「DJ」に置き換えてみたら、あら不思議。僕がDJをやる理由と意味の機能を凄く解りやすく説明してくれる文章に様変わりしてしまったのです。

DJというものは一概にこういうものだ、と、言えるものではありません。多種多様な人達が様々な形で活動をしています。その中でも、僕のDJというものは、他の人と特殊であると昔から自覚しており、それが個性であると思っておりまして。ならば、その特殊な部分というものと個性というのは何ぞや?と。伝えることも必要だよなと思いつつ。まあ、今まで、何度か、何処かで、いろんなところで、ちょろちょろっと、伝えてきたこともあります。そういえば、先日の水戸で行ったDJ講座たるトークの場にて、直接みなさんにお話ししましたんですよね。はい。

僕がDJをやる理由は、たったひとつ。「本物の音楽を、より良き音楽を、1人でも多くの人に伝えるための架け橋となる」です。これが可能ならば、オーディエンスが1人だろうが、3000人だろうが、関係ないんです。僕が音楽を鳴らす。そのきっかけは、相手が好むであろう音楽を鳴らすことから始まるんです。そこから相手がどのような反応を示すか?をリアルタイムで読み取り、あれやこれやと音楽を鳴らし、鳴らし。相手が心地よくなってくれているか?を探り探り。そんな中で、相手が、「音楽って本当に素晴らしい!」って思ってもらえるように選曲をしている。ということです。さらに、「こんな音楽もあるんだ!」という気づきを与えられるように選曲をしている。ということです。先日の、CDJ12/13のまとめ日記にも近い内容になってるかもしれませんが、僕がDJやる理由は、こういうことなのです。「DJプレイ、最高だったよ!」という事よりも、「なんかしらないけれど、自然に心地よくなってきたよ!」というような感じです。僕がDJをやっている空間にいる人達に、その人達が好むであろう音楽をプレイするところから始まり、そこから相手の心模様が景色がじわじわっと、そして、ぐわーっと広がっていくように。その結果、みんながいる空間が徐々に変わっていく、という。ようは、空間を音楽で心地よくプロデュースするという感覚で捉えて貰えれば嬉しです。僕は、そういうDJを志して、いつもプレイしているのです。

ぶっちゃけてしまうと、自分の好きな音楽をかけて、かけ続けて、それでカタルシスを感じることよりも、かける音楽のきっかけをその場にいる相手に委ねて、そこからの広がりを全て相手の心地よさへと誘うように音楽を捧げ、かけ続けることのほうに歓びを感じるDJなのです。これ、本気の言葉で。まじ、ぶっちゃけです。とはいいつつも、どっちに振り切ってプレイしても、両方を開陳してプレイしても、当たり前のようにDJをやっていて楽しいし。そういうDJもやりますし。どれをやろうが、それがDJ保坂壮彦であるのには変わりは無いんですがね…。

改めて。

もう、対岸の火事では済まされない出来事。火事じゃないね。事件でもない。今年以降、音楽というものの本質が、ポップミュージックが、本来在るべくして流れるように、ようやく伝わるべく手段、手法、技術として、ストリーミングサービスが、我が島国日本にももしかしたら現れるかもということでありまして。そんな話題を、あれやこれや読んだり聞いたり調べたりしたところ。自分自身で、ぴん!ときたのが、こういうことだったということです。Pandoraと保坂壮彦をすり替えるという、暴挙。馬鹿ですねー(笑)。ですかねー?そうでも無い気がするんですけどいかがでしょうかねー?日本でも、Pandoraが、音楽とリスナーの新たな架け橋となるのであれば、僕も、以前から音楽の架け橋的存在宣言をし続けているので。ここまで書き続けた、暴言。まあ、まあ、許して下さいまし。

昨年末、政権交代が成されて、なんかしんないけど、日本の顔が安倍首相に変わって、年も変わって、新年めでたく!今年こそは!良いことが!という気運がまだ残っていて。あやふやな「何か」に期待している世の中の風潮が、まだまだ日々にありますからして。それに乗っかって。音楽の在り方も良い方向に流れていって欲しいものです。

だって、いつだって、音楽は、みんなのものだから。

そう在るべきものなのだから。

終わりです。


誤字脱字、きっと沢山あるあるだろう。
長文乱文、失礼致しました。。。








2013/01/07

勝負!



 いろんなところでいろんなひとが。

 ソーシャルメディアにおいて。

 とくに、Pandoraや、Spotifyなどのストリーミングサービス。

 海外でとっくのとうに成功を収めているサービスが日本で本格的に始まるだろうとか。

 パッケージであるCDも、売上を伸ばすだろうとか。

 いろんな識者がさまざまな場所で語っておりまして。

 僕が語るには知識が浅はかでおこがましいので語りませんが。

 2013年は、音楽にとって、追い風が吹くということは。

 感覚的に感じております。勝手ながら。

 それと共に。

 自分自身、今年が勝負だ、と、決めております。

 今年こそが勝負だと。

 いや、今年を逃したらもうチャンスはないと。

 そう思っています。

 この宣言は個人的な事も多分に含んでいるので。

 音楽だけではないけれど。

 でも。

 音楽と共に、僕も、自ら追い風を吹かすぐらいの気合いで。

 ぶっ飛ばして行こうと思っています。

 で。

 で?

 何すんの?




 それは、また今度。

 いや、言わないかも(笑)。


 とにかく。

 勝負。

 
 どう転がろうが関係無い。

 観たことも聴いたこともない景色に辿り着くかも知れないけれど。

 それでも、やったことが、そこならば。

 そこが、僕の、在るべき、場所だと。

 そういう気持ち。



 相変わらず、言葉が無意味に飛びまくってるけど。

 それでも、、いい。。

 来る。

 行く。

 やる。

 する。

 突っ走る!


2013/01/06

(無題)


 いつも、なにも考えていないとき。

 無数の言葉が頭を駆け巡るときがあります。

 僕は詩人でもないし、小説家でもないし、ミュージシャンでもないので。

 それをなにかのカタチにすることはないのだけれども。

 その思い浮かんだ言葉がぐるぐる回って零れ落ちるときがある。

 そんなときに、TwitterやFacebookでたまに書き記します。

 意味があるのか無いのか。

 全く無意味かもしれないけれど。

 何故か、どうしても、記しておきたくて。

 吐き出してしまうのです。

 ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「新世紀のラブソング」。

 その一節に、フレーズに、こんな言葉があります。



 “息を吸って 生命を食べて 排泄するだけの猿じゃないと言えるかい?”



 ただ惰性で生きている。

 ただ生きるだけの為に、命を消費して、生きているだけじゃない。

 僕はそんな生き物じゃない。

 みんなそんな生き物じゃない。

 人間は。

 ここにいる以上、なにか意味がある生き物のはずである。

 そこにいる以上、なにかを創るはずの生き物のはずである。

 そういうことを噛み締めるために、言葉が飛び交ってくるのだろうと。

 そう思うことにしています。

 しかし世の中は、いつだって世知辛く。

 自由や不自由の柵の中で。

 伸び伸びと、かつ、縮こまりながら。

 何かとやっかいな日々を過ごしている。

 それってなんなんだろうと。

 悩みもがき続けると。

 生きる意味やらとかに固執しすぎて。

 観念的な言葉遊びにがんじがらめになる。

 だから、言葉は、やっかいなのだけど。

 それでも、結局、言葉で、自分は救われる。

 だから、今もこうやって、言葉を吐いている。

 夢幻と無限のループ。

 そんな問答の間、僕は今を過ごしている。

 そして時刻とやらは勝手に刻み、ひとときも止まらずに、進みやがる。

 勝手に心臓は鼓動を鳴らし、身体を生かし続けやがる。

 
 不思議だよな。

 
 “確かな言葉が見当たらない 言い当てる言葉も見当たらない”
 “それでも僕らは愛と呼んで 不確かな想いを愛と呼んだんだ”
 ASIAN KUNG-FU GENERATION「新世紀のラブソング」

 
 愛。


 かぁ。



2013/01/04

「COUNTDOWN JAPAN 12/13」を終えて。



 まずは、みなさん。

 新年明けましておめでとうございます。

 今年も宜しくお願いいたします。

 ということで、今年初のブログ。書き初めになりますね。よろしくです。

 じゃ、今年の抱負?とか?書くべきであるところではありますが、その前に、「COUNTDOWN JAPAN 12/13」の総括をしないと始まりませんでしょうと言うことで。去年のことも混ざり合う、不思議な今年の初めの日記になるわけです。きっと、かなりの長文になること必至です。あしからず。

 今年のCDJは、28日と31日の2日間。出演回数は計4回でした。数年前は、夏の「ROCK IN JAPAN FES」と同じように、毎日のように何回も何度も出演を繰り返していたので、それを考えると少ない方だったので、まあ、お気楽ご気楽な感じで行けるだろうと。思っていました…いや…嘘です…(苦笑)。そんな容易いもんじゃないんですよね。やっぱり。とかいって。こういう発言をしていると、「それだけやってるんだから、大丈夫でしょ?」ってみんなに言われるんですが、本当に、難しい。本当に、緊張する。これ、本当になんです。あの空間でDJをやるということの難しさは、「何が起こるか解らない」ということと、「何を起こしても解らない」という。相反するようで共通することが前提として存在しているので。難しいし。毎年、毎回、緊張するのです。

 その緊張というか。難しさに対して。実は、去年の「ROCK IN JAPAN FES」出演で、思いっきり壁にぶち当たって。辿り着くところ、「DJってなに?」っていう。根源的なところまで辿り着かないと自己解決出来ないところまで自分が追い詰められてしまったことがあって。こちらの日記で記していることが、自分の中で巻き起こっていたので。より、今回のCDJでのDJに関しては、自分の中で、何かしらの結果というか、何かしらの解決をつけないとという思いが強く強くあったのです。

 そして、28日。初日のDJ。1回目。

 
 例の如くに緊張緊張。でも。でも。まずは己がかけたい楽曲を数珠繋ぎに行こう。行こう。と。それで、とにかく、行こう。と。自らのペースを保つところから始めようと。それでスタートしたわけでありまして。鳴らす音楽が、今、自分がいる、この場所に、どうのように響き、フロアのオーディエンスに届くのか。広がるのか。何かが産まれ、増幅していくのか。と。そう思い、プレイを続けていたところ。今までにない、発見が、ふと、生まれだしたのです。その発見というか、その気づきは、今まで感じたくても滅多に感じられないものであって。それを掴み取れば、無敵かも!って思っていたことで。それを、手に入れられたというか。1回目のDJでそれをやれたことが。そういうことになったことが弾みになって。TwitterでもTweetしたような、「心から楽しめるDJが出来た!」という。そこに繋がっていったのです。

 そして、28日のラストのDJ。


 この時は、その心から楽しめるDJの術を掴み取ることが出来ていたことがもう、自分の自信にも繋がり。勝手ながら、自分と、音楽と、オーディエンスと、あれと、これと、それと、どれやらと。全てをまとめ上げている感覚を握りしめながら、やり遂げられたと。それくらい。実感することが出来たというわけで、フェスのトリを締めるという大役を仰せつかったことをお粗末ながら、がっつりやれたというわけであります。

 31日の1発目も、掴んだものの感覚は続きました。


 今回、この時のDJが、持ち時間含めて一番長いプレイになったのですが、28日の2回のDJでの経験が励みになり、その流れを2日間。出演が無い日を飛び越えて、自分の出せる音楽の引き出しのあらゆるところから、引っ張りだしては、出し。出そうと思いつつ、しまい込み。出さないと思っていながら、出したり。その、駆け引き的なものも含めつつ、初日に掴んだ、もの凄いものを力にして、心の底から楽しめたのであります。感無量。

 そして、あけおめで、最後のDJ。2013年。1発目のDJ。


 これにて、終了。ありがとう。みんな。

 以上です。

 って。これでこの総括的な日記を終わりにしたら、結局、「てめぇはなにを掴んだんだよ!」っていう。そういう突っ込みがあるのが当たり前で。ここまでその掴んだものを、前振りたっぷりでここまで引っ張ってきてしまって。ひんしゅくを買うのが当たり前です。よね。はい。すみません。白状します。はい。伝えます。

 長年、DJをやってきました。色んなところでDJをやってきました。そんな中でも、フェスでのDJは特殊でした。でもそのフェスでのDJを今現在のかたちに創り上げた張本人の1人であるんだということを、自覚しろ、と。今回のDJをやる前に言い聞かせたのです。こういう物言いをすると、とてもエゴイスティックに聞こえるかも知れないですよね。その通り。当たり前のように僕1人が創り上げたものじゃ無いのは言うまでも無いけれど。でもでも。10年を超える歴史。積み重ねてきた渦の中に居たのは事実で。その意識を、もっと、持て、と。自分に言い聞かせていたんです。それが、良い方向に流れていった。ロッキングオンのオファーを有り難く受け続けながら、自ら受け入れて、「やり続けてきたのはお前だろ?」。「そこでやり続けたんだから、そのやった結果は知らず知らずに、地層のように積み重なってんだぞ?」。と。そういうことです。それを、自慢げにひけらかすのではなく、自分の力にし、自分の使命としなければ如何だろうと。そういうことです。

 その結果、4回のDJすべて。自分自身を客観的に、俯瞰的に観ながらDJをやれることが出来たんです。それを掴んだということが、今年のDJの楽しさに繋がったのです。いやいや。おかしな話ですよね。自分でDJやりながら、それを、客観視出来るなんて。ね。自分の分身が居るわけでもないのに、リアルタイムに俯瞰出来るわけねえだろうだよね。でもね。気付いたら、そういう感覚になれてしまったので。そう言うしかないのであります。

 ようは。CDJのASTRO ARENAにて自分はDJをする。と。そこには、千差万別、様々な理由で集まったオーディエンスがいる。と。だからこそ実際にステージに上がってみないとわからない。と。そして、音楽を鳴らしてみないとどのような世界が創り上げられるかわからない。と。それが怖くて怖くて緊張していた自分がいた。と。でも。その怯えている自分は、本当のお前なのか?って、問い詰めたんです。ステージに上がって、プレイをし始めても、心の中で問いかけ続けたのです。

 そうしたらその瞬間、2001年以降。今まで幾度となく、夏あり、冬あり、と。二度と同じ風景にならない今日というこの瞬間にしか巻き起こらない空間を刻んできた。沢山あったこと。それを経験したことが走馬燈のように頭の中を駆け巡ってきたのです。怖い、辛い、もあった。楽しい、嬉しい、もあった。喜怒哀楽、沢山あったなぁ、と。じゃあ、そんな自分の記憶に染みついた中で、選び取るとすればなにを選ぶ?と……。んなこと当たり前です。楽し、嬉し、の出来事ですよ。っすよね。それを、体感した過去の自分の姿を、今ままさにDJをしている自分にすり合わせたという感じ。もう1人の自分が後ろから、「ほら!あのときのように楽しくDJをやればいいんだってば!」というような。己が今までフェスDJで経験してきた多幸感を、フラッシュバックすることが出来た。自分で自分をアップリフトすることが出来た。そういうことだと思うわけです。いや。思うというか、出来たというわけです。それが可能になったので、全てのDJで、満足のいくDJが出来たと。自分の中で感じられたということなんです。

 以上です。

 と。またここで締めてしまいたい衝動があるのですが。ぶっちゃけ、自分のDJによって、その時のあらゆる全ての人が、解き放った音楽が、保坂壮彦という人間を通して、良きように伝わり広がったのか?とか。「完璧!」なんて思われるようなプレイが出来たのか?そんなことはわからないわけですからして。ここまで長きに渡って語った事は、とどのつまり、俺の中での自己満足なのかも知れませんとも言えることなんです。

 そう。

 DJって。何?

 フェスでのDJって。何?

 答えのない。いや、答えなんか出ないこと。

 そこで、一人でも多くのひとに、素晴らしい音楽を届けるために。人と音楽の架け橋となるべく、DJという手法を駆使している人間が、保坂壮彦という人間です。改めまして。初めまして。これからも宜しくお願いいたします。

 感謝。

 ありがとう。

 




 こんな締め。

 ありなのかな?(笑)。

 

 ま。許して下さいまし。


 長文駄文失礼極まりない。


 コトヨロアケオメ!





 




2013/01/01

alcoholiday vol.32 開催!



alcoholiday vol.32

2013年1月13日(日)

OPEN&START: 23:00~all night

@下北沢 CLUB Que
DJs:
小野 眞一 (100sフィッシュバスケットbathbeer)
保坂 壮彦 (soultoday
はん ふぃそん (altoto

Guest DJs:

田中 貴(サニーデイ・サービス
DJギリシャ(OverTheDogs


Ticket:

ADV / 2,300yen (1drink inc.)
DAY / 2,500yen (1drink inc.)

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