2013/01/06

(無題)


 いつも、なにも考えていないとき。

 無数の言葉が頭を駆け巡るときがあります。

 僕は詩人でもないし、小説家でもないし、ミュージシャンでもないので。

 それをなにかのカタチにすることはないのだけれども。

 その思い浮かんだ言葉がぐるぐる回って零れ落ちるときがある。

 そんなときに、TwitterやFacebookでたまに書き記します。

 意味があるのか無いのか。

 全く無意味かもしれないけれど。

 何故か、どうしても、記しておきたくて。

 吐き出してしまうのです。

 ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「新世紀のラブソング」。

 その一節に、フレーズに、こんな言葉があります。



 “息を吸って 生命を食べて 排泄するだけの猿じゃないと言えるかい?”



 ただ惰性で生きている。

 ただ生きるだけの為に、命を消費して、生きているだけじゃない。

 僕はそんな生き物じゃない。

 みんなそんな生き物じゃない。

 人間は。

 ここにいる以上、なにか意味がある生き物のはずである。

 そこにいる以上、なにかを創るはずの生き物のはずである。

 そういうことを噛み締めるために、言葉が飛び交ってくるのだろうと。

 そう思うことにしています。

 しかし世の中は、いつだって世知辛く。

 自由や不自由の柵の中で。

 伸び伸びと、かつ、縮こまりながら。

 何かとやっかいな日々を過ごしている。

 それってなんなんだろうと。

 悩みもがき続けると。

 生きる意味やらとかに固執しすぎて。

 観念的な言葉遊びにがんじがらめになる。

 だから、言葉は、やっかいなのだけど。

 それでも、結局、言葉で、自分は救われる。

 だから、今もこうやって、言葉を吐いている。

 夢幻と無限のループ。

 そんな問答の間、僕は今を過ごしている。

 そして時刻とやらは勝手に刻み、ひとときも止まらずに、進みやがる。

 勝手に心臓は鼓動を鳴らし、身体を生かし続けやがる。

 
 不思議だよな。

 
 “確かな言葉が見当たらない 言い当てる言葉も見当たらない”
 “それでも僕らは愛と呼んで 不確かな想いを愛と呼んだんだ”
 ASIAN KUNG-FU GENERATION「新世紀のラブソング」

 
 愛。


 かぁ。



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