2013/01/09

Pandoraと自分をすり替えるという暴挙。をしてみた。



「Pandoraとは、ユーザー自身の好みの音楽を分析しピックアップしてくれる機能が備わった音楽の配信サービスのことである。 (IT用語辞典バイナリから引用)」

昨日の日記で、触れた、ストリーミングサービスのこと。特に、Pandoraのこと。ちょっと、思うことが湧き出てきたので、少し持論を展開しちゃおうと思います。てかさ、“いろんな識者がさまざまな場所で語っておりまして。僕が語るには知識が浅はかでおこがましいので語りませんが。”とか昨日、言っておきながらさ、一日経ったら手のひら返したかのように気持ちが変わるという。天の邪鬼。それが、俺。そんな開き直りも、俺の得意技。まあ、いいじゃないっすか。そんなに深く語れませんから。ただ、DJとしての意見として、ちょっと思う節が沢山出てきたからなので、書きます。

日々移り変わるこのご時世。Pandoraに関しての最新動向といいますか。アメリカで革命を起こしたこのサービスの何がどうなっているの?とか、じゃあ日本ではどうなるの?とかやらは、こちらの、「連載第34回 なぜYouTubeは音楽を救えなかったのか | Musicman-NET」による、榎本幹朗氏の連載をご覧下さい。他にもいろんなサイトで取り上げられていますので。みなさま個々それぞれ、情報と状況をすくい上げて下さい。はい。そして、じゃあ、ここで、僕が伝えるぞ、書くぞ、と、思ったことは、至ってシンプルで。この日記の冒頭に書き記した文章。それを、自分に置き換えてみたところ、ほうほうなるほど!ってなったのでありまして。

やってみます。

「保坂壮彦とは、ユーザー自身の好みの音楽を分析しピックアップしてくれる機能が備わった音楽のDJのことである。」

以上。

「Pandora」の部分を「僕」にすり替えて、「配信」のところを「DJ」に置き換えてみたら、あら不思議。僕がDJをやる理由と意味の機能を凄く解りやすく説明してくれる文章に様変わりしてしまったのです。

DJというものは一概にこういうものだ、と、言えるものではありません。多種多様な人達が様々な形で活動をしています。その中でも、僕のDJというものは、他の人と特殊であると昔から自覚しており、それが個性であると思っておりまして。ならば、その特殊な部分というものと個性というのは何ぞや?と。伝えることも必要だよなと思いつつ。まあ、今まで、何度か、何処かで、いろんなところで、ちょろちょろっと、伝えてきたこともあります。そういえば、先日の水戸で行ったDJ講座たるトークの場にて、直接みなさんにお話ししましたんですよね。はい。

僕がDJをやる理由は、たったひとつ。「本物の音楽を、より良き音楽を、1人でも多くの人に伝えるための架け橋となる」です。これが可能ならば、オーディエンスが1人だろうが、3000人だろうが、関係ないんです。僕が音楽を鳴らす。そのきっかけは、相手が好むであろう音楽を鳴らすことから始まるんです。そこから相手がどのような反応を示すか?をリアルタイムで読み取り、あれやこれやと音楽を鳴らし、鳴らし。相手が心地よくなってくれているか?を探り探り。そんな中で、相手が、「音楽って本当に素晴らしい!」って思ってもらえるように選曲をしている。ということです。さらに、「こんな音楽もあるんだ!」という気づきを与えられるように選曲をしている。ということです。先日の、CDJ12/13のまとめ日記にも近い内容になってるかもしれませんが、僕がDJやる理由は、こういうことなのです。「DJプレイ、最高だったよ!」という事よりも、「なんかしらないけれど、自然に心地よくなってきたよ!」というような感じです。僕がDJをやっている空間にいる人達に、その人達が好むであろう音楽をプレイするところから始まり、そこから相手の心模様が景色がじわじわっと、そして、ぐわーっと広がっていくように。その結果、みんながいる空間が徐々に変わっていく、という。ようは、空間を音楽で心地よくプロデュースするという感覚で捉えて貰えれば嬉しです。僕は、そういうDJを志して、いつもプレイしているのです。

ぶっちゃけてしまうと、自分の好きな音楽をかけて、かけ続けて、それでカタルシスを感じることよりも、かける音楽のきっかけをその場にいる相手に委ねて、そこからの広がりを全て相手の心地よさへと誘うように音楽を捧げ、かけ続けることのほうに歓びを感じるDJなのです。これ、本気の言葉で。まじ、ぶっちゃけです。とはいいつつも、どっちに振り切ってプレイしても、両方を開陳してプレイしても、当たり前のようにDJをやっていて楽しいし。そういうDJもやりますし。どれをやろうが、それがDJ保坂壮彦であるのには変わりは無いんですがね…。

改めて。

もう、対岸の火事では済まされない出来事。火事じゃないね。事件でもない。今年以降、音楽というものの本質が、ポップミュージックが、本来在るべくして流れるように、ようやく伝わるべく手段、手法、技術として、ストリーミングサービスが、我が島国日本にももしかしたら現れるかもということでありまして。そんな話題を、あれやこれや読んだり聞いたり調べたりしたところ。自分自身で、ぴん!ときたのが、こういうことだったということです。Pandoraと保坂壮彦をすり替えるという、暴挙。馬鹿ですねー(笑)。ですかねー?そうでも無い気がするんですけどいかがでしょうかねー?日本でも、Pandoraが、音楽とリスナーの新たな架け橋となるのであれば、僕も、以前から音楽の架け橋的存在宣言をし続けているので。ここまで書き続けた、暴言。まあ、まあ、許して下さいまし。

昨年末、政権交代が成されて、なんかしんないけど、日本の顔が安倍首相に変わって、年も変わって、新年めでたく!今年こそは!良いことが!という気運がまだ残っていて。あやふやな「何か」に期待している世の中の風潮が、まだまだ日々にありますからして。それに乗っかって。音楽の在り方も良い方向に流れていって欲しいものです。

だって、いつだって、音楽は、みんなのものだから。

そう在るべきものなのだから。

終わりです。


誤字脱字、きっと沢山あるあるだろう。
長文乱文、失礼致しました。。。








0 件のコメント:

コメントを投稿